小学生の頃から漫画家になるのが夢でした。 コナンとからんまが好きで、読んでいたのはジャンプよりサンデー派。 中学に入ったあたりに少女漫画を読み始めたころに母親の持っていた漫画で くらもちふさこを知り衝撃を受けました。 手塚治虫が漫画の神様、くらもちふさこは少女漫画の神様だと思ってる。 f:id:dakaraomaeha:20180321172227j:plain 「おしゃべり階段」 くらもち先生のなかで一番好きな漫画。 思春期の女の子のリアルな心を綺麗に繊細に描いていて苦しくなるぐらい あの頃が蘇るお話。大好き大好き。 漫画を初投稿したのは16歳、高校1年の時でした。 漫画を描き始めた人にありがちな「もしや初投稿デビュー!?」を思っていましたがもれなく惨敗。 大学卒業まで1年に1本程度を投稿してましたが変わらず惨敗。 f:id:dakaraomaeha:20180321171836j:plain アナログで描いていたころの絵。 トーンが買えなくて厳選されたシーンのみに使ってました。 「25歳までにデビューするぞ」という思いでしたが、結果は全くでした。 漫画家になったあとの生活を細部まで想像していましたが、箸にも棒にも引っかからない私の漫画。 「まだ漫画家になれる気配はない。けれどいづれ漫画家になるし、投稿漫画に費やす時間が欲しい。 それならば自分の時間に余裕の持てそうな事務職へ就職しよう」 そんな思いで事務の仕事で働き始めました。 最初の2年ぐらいは仕事を覚えることや、職場に慣れるのに必死で 漫画を描くことも出来ずただただ生きていました。要領が非常に悪い。 しかし働きお金が入ったことで、スクリーントーンをばしばし買うことが出来たり デジタルに移行したり、液晶タブレットを買うことが出来たりと 設備は充実していきました。 デジタル始めた頃の絵。 線の太さがうまく設定できなくて苦戦してました。 デジタルに移行した後ぐらい、もう25歳を過ぎていたのかどうかは定かではないのですが とにかく焦り始めていました。 リアルに思い描いていた漫画家生活がまだできない。 要領が悪いとか言ってられない。死にもの狂いでやらなければ。 1年に1本だった投稿数を半年に1本、3ヶ月に1本と投稿頻度を上げていきました。 投稿本数は7本を超えたあたりから数えるのを辞めた。 仕事から帰ったら即漫画作成。投稿締切前は朝まで描いて、 朝にコンビニで原稿のコピーしてからの郵送後、仕事に出勤。 f:id:dakaraomaeha:20180321171844j:plain ペンがのりだした。 髪の毛の線が大変だけど楽しかった。 また、出版社への持込も始めていました。 仕事を休んで夜行バスで東京へ何度か足を運び、数件出版社めぐり。 見込みがある人ならここで担当編集者という人がついてくださったりするのですが 私はただアドバイスを頂けるのみ。それでも目の前で批評を聞けるのは非常に意義のあることでした。 f:id:dakaraomaeha:20180321171653j:plain なにこれ え なんなの? という妙な台詞。うふふ。 こんな感じで描いていた漫画は少女漫画。 恋を知らない私が描いていた少女漫画って笑えるよね。 f:id:dakaraomaeha:20180321171659j:plain 恋する女子。 絵かくよりもお話考えるのが好きでした。 f:id:dakaraomaeha:20180321171645j:plain すごい可愛い絵が描けたと思った。うふふ。 投稿結果はちまちまと成績が上がってきて、賞金をもらえるようになったり ほんの一コマが掲載されるようになってきました。 ようやくここまで来たけれど、25歳という夢の期限はとうに切れていました。 なんだか、どうにも、私には無理な気がしてきていました。 最後の投稿作。 過去最短で仕上げた。 3ヶ月で1本をコンスタントに続けていた時、思ってしまった。 「これで駄目だったら。こんなに考え抜いて今持てる力全てを出し切って、 それでも結果がたいしたことなかったら。おしまいだ。 いくらやっても私は漫画家になれないんだ」 終わりを意識しながら精一杯の力を込めて描いた漫画でしたが、 結果は目標としていたものよりも下なものでした。 ごめんね。あの頃の私。 夢の場所に連れて行くこと 出来なかったよ。 それ以来、もうストーリー漫画は一切考えなくなりました。 このブログを始めたのはそうなるちょっと前だったのかな。 もう一度ストーリー漫画を描きたいと思うようなことはないのは、 絶望的に漫画家になれないことが分かったから。 人生の大きな夢を無くしてから数年経ちました。 夢ばかり見ていたので足元に迫る問題が露呈しちゃって現実逃避してる日々。 やっぱり要領が悪い私です。